前作:文芸誤報
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ふたたび、時事ネタ
著者:斎藤美奈子 発行:2010年6月25日初版 |
『たまには、時事ネタ』の続編でもある本書は、2007年1月から2009年12月までの連載コラムに加筆修正したもの。この頃はテレビが自宅にあり、ニュースを中心に「何となく」見ていた。なので、本書で取り上げられた多くの話題は知っていたが、ここまで詳細には「追っていない」ので、非常に興味深い。とはいえ「何とく見がちになったテレビ」は、この頃から嫌になっていたとの記憶としてはある。
成田空港で国内初の新型インフルエンザ感染者(略)が確認されたのが5月9日。(略)新型インフルエンザをめぐるこの半月余りは、宇宙人からの侵入者に人々が総力戦で立ち向かうSF映画を見るようだった。P.203それがエスカレートすると、マスクをしていないと非難されるのではないかという恐れが生まれ、やがてマスクをつけることが自己目的化する……。P.204
これ、数年前のパンデミックのことはなく「2009年のこと」。「次に新型インフルエンザ騒ぎがあったとしても、同じような騒ぎにはならないだろう」は高を括っていたかもしれない。「人も社会も言うほどには学ばない」のかもしれない。「騒ぎ過ぎだった」という見解が大勢を占めてるようにも思えない。
危機管理をいう人が必ず口にするのは「最悪の事態を考えて」というフレーズ。だけど最悪の事態とは何なのか。危機意識を過剰に煽る社会も、煽られた危機をすぐにモノに転換する社会も、それはそれで危うい。P.205
「危機管理」という言葉は「免罪符」的に使われ過ぎてる気がしてならない...。
本書について、もっと書きたいことはあるが、「原発は安全だといいきる裁判所の大胆不敵」からの引用で止める:
中部電力浜岡原発の耐震性をめぐる裁判で、10月26日、静岡地方裁判所は運転の差し止めを求めていた原告の請求を却下した。驚いたことに、判決は中電の主張を全面的に認め、国の耐震基準は妥当で、「想定される東海地震の揺れに対しても安全性は確保されている」といいきった。トンマなのか大胆なのか判断しかねる判決である。P.87裁判所に「安全です」と認めていただいたところで何の足しにもならないことは、7月の中越沖地震で多数の不具合を出した柏崎刈羽原発の例でも証明ずみだ。が、この判決は大胆不敵にも柏崎刈羽原発の教訓を「なかったこと」にしているのである。(略)P.87電力会社批判は、この国のメディアの大きなタブーのひとつである。電力会社は自動車メーカーなどと並ぶ強力なスポンサーだし、原発は国のエネルギー政策にもかかわるし。P.89
『国破れて著作権法あり 誰がWinnyと日本の未来を葬ったのか』の投稿でも触れたが、この国で「冤罪が起こる背景」は本書でも十分に読み取れる。「裁判所の判断」が「果たして事実なのか、果たして正義なのか」を考えてしまう。
本書の読み方はいくつかあるが、一つに「マスコミ批判」がある(政治批判は言うまでもないが...、ここでは割愛)。「権力側に付いたらマスコミ(ジャーナリズム)は死ぬ」が私の持論。営利が目的であるマスコミ、スポンサーの意向を看過できない事情はあるだろう。政府側に反抗したら、容易に手に入る情報も得にくくなるだろう。そんな「タブー」が存在するのだ。
「じゃ、そのタブーを誰が犯して、事実を晒してくれる役割を担うのは誰?」という疑問が残る。答えはここで述べるまでもなく明らかだ。
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