楽園のカンヴァス 著者:原田マハ 発行:2022年3月10日第23刷、初版 2014年7月1日(単行本:2012年1月 |
本書を「史実をもとにした美術ミステリー」と評することはできるが、そんな風に一言で表せない面白さと魅力がある。絵画をもとにした作品だと Tracy Chevalier の "Girl With A Pearl Earring"(映画化された)を連想するが、本書の趣はまったく異なる。
2000年、バーゼルでの1983年、パリの1906年から1910年、つまり現在から過去、そして『夢』が描かれた頃のパリ、これらの時代が「近代美術 (modern art)」で繋がる...。「ミステリー」の要素に関してはここでは触れないが、一種の「謎解き」にも似た物語に魅了された。
美術史に詳しくない場合、「どこが史実でどれが空想」の判別は難しいかもしれない。それほどまでに「史実をもと」にしている。美術史に詳しくない私だが、「あの絵画には別のバージョンがあり、真贋は不明、絵画の下地は...」と仮定したところに、本物語の土台があるように思う。そのような「仮定」すら想像できない私には、最高に楽しい物語となった。
仮に本書が映像化されても、オリジナルの魅力を再現するのは不可能だろう。「読む」ことでしか味わえない物語が確実に存在することを改めて痛感した。これも読書の魅力のひとつ。
著者の公式サイトの Profile を事前に読んでいたからか、本書の多くで著者が「語っている」ような錯覚を抱いた:
美術館とは、芸術家たちが表現し生み出してきた「奇跡」が集積する場所。動物園や植物園は、太古の昔から芸術家たちが表現の対象としてみつめ続けた動物や花々、この世界の「奇跡」が集まるところ。アートを理解する、ということは、この世界を理解する、ということ。アートを愛する、ということは、この世界を愛する、ということ。P.232
「芸術って言葉にできないからこそ魅力的」と長年思っていたが、それは「言葉にすることを放棄しているだけ」と最近になって確信した。『絵とは何か』『映画術 その演出はなぜ心をつかむのか』『複眼の映像 私と黒澤明』等々を読むようになったのは「言葉にしたい」欲求の表れだ。
音楽、映画、科学、絵画という「芸術」の中では、私にとって絵画が最も疎い。疎いからこそなのか、知りたい(感じたい)欲求は強いのかもしれない。
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