前作:ふたたび、時事ネタ
月夜にランタン
著者:斎藤美奈子 発行:2010年11月20日初版 |
世の中、いったいどうなってるんだ、と思うとき、あなたはどこに情報を求めるでしょう。(略)いろいろありますが、私は書店に出かけて、なるべく書籍を買い求めます。なにかと規制が多いテレビや新聞に比べ、書籍にはまだ、はるかに自由な言論の場が確保されているからです。P.297
今では10年以上の前の出来事で「あぁ、そんなこともあったなぁ」と...。特に政治の話は「日本の政治って、今も昔も、相変わらずだな...」とそれほど楽しく読めないのだが、不思議になことに序盤を過ぎると徐々に没頭し始める。特に、執筆時に追記された「脚注」が良い。「その後」や「著者の振り返り?」は、著者が「書いたことに無責任でない」ことの表れでもあり、読んでて楽しい。
本書のタイトル「月夜にランタン」が味わい深い(笑)冒頭から:
つき-よ-に-ランタン【月夜ー】月明かりの夜に灯りを持って出歩くことから「余計なことをする」の意味。無駄に明るい、合理性を欠く、反応が過剰だ、頓珍漢である、などの含意を持つ。
【用例】が楽しい:
「ベストセラーを褒めちぎるのは ー だよ」「婚活で必死な彼女に結婚の意義を説くなんて ー だね」
このタイトルについては後述。
今回もたくさん取り上げたい話題ばかりだが、以下の二つに絞った。
親の責任か?
まずは、デキる男を発奮させる子育ての「新領域」(P.111) から:
<私立受験に公立高校選択制とチョイスがたくさんある時代。うちの子にぴったりの教育はどこにあるのか。親の時代と様変わりした、学校の今を知れば、息子・娘の未来の母校を探すのがもっと楽しくなるはずだ>(「プレジデントファミリー」)楽しくなるはずだ……って、まるで仕事か趣味のノリ。P.116
公立高校から国立大学を卒業して就職した私は、両親から「勉強しろ」と言われたことはないし、ましてや両親が「この学校はどうだ?」なんて発することすら想像できなかった。そんな私なので、この回を読んでる最中、違和感しか抱けなかった。そんな私を最後に「ホッとさせた」のは著者の脚注6:
実際、この種の情報誌が不備な点は、「勝ち組」の子どもに目を奪われるばかりで、受験に失敗した子の事例をめったに紹介しないことである。(略)落ちた子供をフォローする方法論が示されない限り、教育雑誌としては、本当は失敗なはずなのだ。P.117
百歩譲って、情報として子どもに伝えるのは良いかもしれないが、子どもから「考えさせる余地」「選ばせる余地」を奪い過ぎないようにして欲しいものだ。
ところで「受験(ごとき?)に失敗」したら、それは親の責任なのか?違うでしょ(笑)
品格てなんだ?
次は、女に説教を垂れるあの本に平成の「女大学」を見た (P.132) から:
『女性の品格』はページを開く前からそこはかとなく笑わせてくれる。サブタイトルは「装いから生き方まで」だ。おもしろいな。「装い」と「生き方」が並列なんだ。事実、巻頭で「凛とした女性に」という高邁な理想をかかげたこの本は、各論に及ぶや、やたらと細かい指示や提言が並ぶのだ。P.134好一対の『女性の品格』と『男の品格』を読み比べると、片や細かいお作法や言葉遣い、片やざっくりとした遊び心のすすめ。現代のジェンダー規範と、それはおもしろいほど合致している。P.136『女大学評論・新女大学』(明治32年=1899年)を著した福沢諭吉は、女子教育こそ国家の計のはじまりである、みたいなことをたしか書いていたはずだ。「国家」の次は「女性」って、この国の品格は明治からさして進歩していないってことである。P.138
「なんちゃらの品格」とか本があったのは記憶してる。その頃と、テレビで「説教たれるオバサマ方」がいた時期と重なるが、勘違いか?
ここでは「女性と男性の品格」の話題に絞る。こんな本の最大の違和感は「日本人」だけを対象にしていること。そして(勝手に決めつけた)「日本文化や精神」が背景にあること。少なくとも違和感を軽減する方法は、同じ内容で「世界に発信」すること。つまり、最低でも英文で同じ内容で発信すること。
仮にそうしたら、結果的に「日本人てそうなのか?」と世界から不思議がられることだろう。「女性の品格」を例えば "Dignity Of Womanhood" としてみると、そこには日本的な雰囲気は微塵も期待できない(適当な例だったが、Dignity Of Womanhood: A Woman's Journey てな本がある)。
では「なんたらの品格」的な本は不要なのかとの疑問には、「私には不要だが、月夜にランタン的には良いじゃない」と答える(笑)
「月夜にランタン」という言葉は既存の辞書には載っていません。「月夜に提灯」ならば載っています。意味は<無益・不必要なことのたとえ>(『広辞苑』第六版)。たったこれだけの内容のために、昔の人はなんと風雅な表現を思いついたものでしょう。このことわざには「月夜に提灯、夏火鉢」というロングバージョンもあるのです。(略)そこには単なる「無駄」や「無益」を超えた「過剰さゆえのバカバカしさ」みたいなニュアンスが含まれているように思います。P.294
「過剰さゆえのバカバカしさ」て、日本の社会には結構溢れている気がする。「そこまでやるか?」とか「そこにこだわるのか?」とか。良い意味でも悪い意味でもね。「やり過ぎ」だけには気をつけたいものです(笑)
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