大いなる眠り 著者:レイモンド・チャンドラー 翻訳:双葉十三郎 発行:1997年1月10日72版(初版:1959年8月14日) 原書:The Big Sleep(初版:1939年) |
そんな本書、実は10数年に一度は手に取った。先の理由の通り「読みにくい」となって、数ページで断念。今回手に取ったのは、著者 Raymond Chandler のことは長年気になっているし、映画化された作品も楽しみたいとの思い(実は映画版 "The Beig Sleep" も10年ほど前に観たが、ハンフリーボガードのセリフが聴き取れないため断念...)。
それと、もしかして「最後の後押し」をしたのは、『終点のあの子』で
地味グループ所属の冴えない外見の「保田(やすだ)」
が「チャンドラーを愛読」していて、飼い猫の名前を「チャンドラー」としていたこともあるかもしれない(笑)
ということで読み始めたのだが、驚いたことに「意外と読みにくくない」とすぐに気付く。「昔の言い回し」が日本語訳で随所に出るが、それほど気にならなく、むしろ「元の英語ではどうなっているのか」を気になった。
ストーリー展開は、予想以上に「込み入っている」。ある意味「よく考えた話」とも言えるが、一方で「これって辻褄があってるのか?」の疑問も僅かに抱いた。要は「楽しく読めればよい」ので、そういう意味では「最後まで飽きることなく読んだ」ので「楽しんだ」のだろう。
本書の「解説」の冒頭:
チャンドラーは従来の推理小説を全く否定した。彼は本格推理小説の特殊性をほとんど認めず、リアリズムを提唱した。P.273
本書を読むと、そのチャンドラーの「嗜好」が分かる気がする。推理小説の醍醐味を「謎解き」とすれば、確かにそこにある「リアリズム」は希薄に思える(ことが多い気がする)。こう書くと推理小説ファンから「ハードボイルド小説のリアリズムもどうかと思うけどな」的な反論があろう。ごもっともな反論だと思う。
どちらもフィクションである、つまり「作り話」なのだ。結局好みの問題でしかなく、「どちらが読んで楽しいか」でしかない。音楽同様に「カテゴリー分けに大した意味はない」。
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