2025年3月25日火曜日

たゆたえども沈まず

たゆたえども沈まず

著者:原田マハ
発行:2020年7月31日第5版、初版2020年4月10日(単行本:2017年10月)

著者の『楽園のカンヴァス』同様に史実をもとにしたフィクション。

本書の「解説」から:
ファン・ゴッホのアルル時代には多くの手紙が書かれていて、フィクション作家の入り込む余地がほとんどないぐらい日々の出来事が克明にわかっている。しかし、パリ時代、ファン・ゴッホ兄弟は同居していてフィンセントはテオに手紙を書く必要がなかったため、さほど詳細な記録はない。他の時代と比べて歴史の空白部分が多く、今後、美術史家もこの時代の出来事を詳細に知ることはおそらく難しい。P.444

「歴史の空白を埋める」のも「小説の役割かもしれない」と本書を読むと痛感する。

ゴッホの作品にそれほど詳しくない私でも「タンギー爺さん」の絵は知っていた。しかし、知っていたのは左の方だけ:
背景には、浮世絵、そして渓斎英泉(けいさいえいせん)の《雲龍打掛の花魁》。

本書で描かれる、19世紀後半のフランスでの「ジャポニスム(日本趣味)」の様子は興味深い。数年前にフランス人を通して、版画と浮世絵に興味を抱くようになった私だが、本書を読んで、浮世絵への興味は一気に高まった。浮世絵関連の本を物色しはじめた。

こんな私の行動は、この物語の重要人物である「林忠正(はやしただまさ)」の指摘そのもの...:
自分で価値を見出すことはせず、むしろ他人が価値を認めたものを容認する、それが日本人の特性だ。だから、フランスなりイギリスなりアメリカなり、日本以外の国で認められた芸術を、彼らは歓迎するのだ。P.434

こんな風に言い切れる自信は私にはないが「日本人の一般性」としては間違いではないだろう。ところで、逆に「フランスなりイギリスなりアメリカなり」の人たちは、他国の評価など無関係に自国の芸術を高く評価してるのだろうか? 今度、知り合いの外国人に尋ねてみよう。


本の読み方:遅すぎた?

本書の「執筆前調査の様子」とも言える『ゴッホのあしあと 日本に憧れ続けた画家の生涯』を読んでいたので、本書への期待は高かった。私が「ゴッホ好き」なのもあるが、「新たなゴッホ像」を知りたいと思った。

確かに良く考えられた物語で、史実をもとにして上手く物語が展開している。本著者にしか語れないかもしれない。

しかし、私には「冗長すぎた」。パリの風景の描写も良いのだが、繰り返されると「またか...」となった。特に弟「テオ」の心情が「若干くどいな...」と辟易...。期待した「ファン・ゴッホの姿」は、テオと重吉の視点で描かれたためか、「ふぅん...」という感じ。まぁ、ファン・ゴッホを描くのは容易ではないのだろう。

もう一点、気になったのは「林忠正」が「凄すぎる」こと。実際に凄かったのかもしれないが、二人のゴッホ兄弟と本書のように「深い親交」があったとは思えない。林忠正と加納重吉(架空の人物)が、あまりにもゴッホ兄弟と「親し過ぎる」のだ。日本人としては「そんな日本人の存在」は楽しいことではあるが、フィクションといえ「ちょっとなぁ...」となった。

こんなことをダラダラと思いながら読んでしまったのは、かなりのスローペースで読んだからだろう。速読はしない方だが、ある程度の「良いリズム」で読むのが好きなのだが、本書は「遅すぎた」ようだ。

とはいえ、何年後かに再読したら印象は変わるかもしれない。それも読書、特にフィクションものの面白さでもある。

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