2025年12月5日金曜日

けむたい後輩



けむたい後輩

著者:柚木麻子
発行:2012年2月25日初版
ボブ・ディランという男」が読み応えがある内容で、かなり長時間読んでいた気がする。そのせいか、「久しぶりの小説だなぁ」と思いながら一気に読んだ。

直近で読んだ小説が9月初旬のことで、本作と同じ著者の「嘆きの美女」だったことに今気づいた。「なんだか馴染みのある人物設定」と感じた理由はそれだったのかもしれない。柚木麻子作品を多くは読んでないが、物語の特徴を感じる。まぁ、同じ作家なので当然といえば当然なのだが。

今回の主人公である羽柴真美子(はしばまみこ)も「現実にいたら面白いけど、現実にはいない」だろう。真美子の周辺の登場人物は「なんだかいそうだな」とはなる。とはいえ、相変わらず登場人物の設定が上手い。だから面白のだろう。

ブラインドテストはしたことがないが、日本人による小説の場合、作家が男性か女性かの区別はできる自信がある(映画監督だと、日本に限定しないで区別できるかも)。基準としては「男が描写できない表現」。服装や食べ物の描写はかなり分かりやすいが、それ以上に「え、女性てそんなこと考えるの?」という点が大きい。

ハンサムウーマン」を読んで気づいたのだが、私は女性作家の本をほとんど読んでこなかった。まぁ、読書家ではなかったのもあるが、読んだとしても男性作家ばかりだった。こうやって女性作家の作品からの発見は多い。とはいえ別段「女性の気持ちを理解したい」との願望はなく、ただ単に「面白い」から。「知らない世界を知る喜び」と似てるかも。

次は誰が発したは書かないが、「え!」と驚いた(笑):
 「あの頃はお互い若くて外にも出られないし、とにかくエネルギーが有り余ってたんだよ。好きとかそういうの、考えないでただひたすらやりまくってただけ。毎日毎日、汗まみれでやりまくって、あんなのは恋愛とは呼べないよ。(略)」P.118

痛快なセリフはこれ:
「年上のくせに葛藤のレベルが低くないですか?あんなに映画見たり、本読んでたくせに…。何一つ血肉になってないんですね」P.251

映画見たり本を読むという行為を、ある意味において的確に表現している。私は「血肉」にすることを目的にはしてないが、「血肉になるもの」ではあるだろう。芸術の存在意義もそこにあると思う。

ガキの頃からの無意識の憧れとして、「映画を楽しむ人、本を楽しむ人」になりたいと思っていた。そんな大人がカッコ良く見えたのだ。以前は「意味不明な作品」に苦しんだが、今では「そんなのは観なきゃ良い、読まなきゃ良い」と割り切れる。ただ、自分が楽しめる分野を広げる努力というか意識付けは忘れないようにしている。

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