| 文学キョーダイ!! 著者:奈倉有由、逢坂冬馬 発行:2023年9月30日初版 |
「文学少年」では決してなかった私、そして未だに「文学的」と呼ばれる本を読めない(先日も世界的に有名な本の日本語訳版を二冊読んでみたが、10ページも読まずして断念)。どこかに「文学な人」たちへの興味があって、この本のタイトルに惹かれたのかもしれない。
本対談の内容は「社会学」的な感じで、特に「一般常識」的なことへの疑問の呈し方がうまい。テレビなどの日本のメディアから距離を置いてる私でも、なんとなく共感することが多い。特に、ジェンダー、諸外国の見方、戦争、などなど。
なので、引用したい箇所は多くあるのだが、これだけに留める:
うちで公認されていた漫画の話をすると、どことなく偏った選別を親がしているように思われるかもしれないけれども、市場の選択というものが実はものすごく偏ったものだということを、親のほうがなんとなく分かっていたということなんです。男女の恋愛がイコール素晴らしいという価値観から入ってもらいたくなかったみたいだし、戦って勝つという価値観で男らしさが決まるわけでもないというのは分かっていた。いまにして思えばなかなか面白い文化への触れかただったんですよね。ただ、一個記憶としてはっきりしているのは、それで不自由さを感じたことがぜんぜんなくて。見たいんだけど見せてくれない、みたいなのはなかった。 P.63
二人の「文学キョーダイ」の背景に「親や祖父母の存在」が強くある印象。
私自身が育った環境と比較してしまうが、彼らのとは全くもって違う。そしてそれは当たり前のことで、むしろその違いが興味深い。そして、この姉弟が同じ育った環境にありながら、同じような価値観では育っていない。しかし、大人になって共有する価値観が確実にあるが面白い。
そして、本書の二人の生い立ちを読んで、行き着くのが「Nature vs. Nurture(生まれか育ちか)」。「才能」という言葉で物事を片付けるのが好きでない私は、圧倒的に「Nurture(育ち)」に重きを置いてる。「才能」だけで判断するのであれば、私は未だにギターを弾いていない。「センス」や「美意識」の方が大切で、それらは「磨く」ものであって、「才能」とは違うと思ってる。
この姉弟の育った環境と似てる点を敢えて探せば「自由」かもしれない。両親から、あーだこーだと指図された記憶はほとんどない、兄弟や近所の人がいたので「放置」されたともいえるが。当時の田舎は大抵そんな感じだったと思う。
今日の方が案外「不自由」なのかもしれない。妙な「価値観」や「先入観」を事前に押し付けられてる雰囲気もある。本書でも同様のことを書かれていたが、そんな「価値観」などを揺らすのが「本を読むこと」であるのかもしれない。
少なくとも、「才能」で物事をかたずける前に、本など読んで、「あーだこうだ」と思考しながらジタバタしてる方がよほど健全だと思う。

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